あおは、、、realist です。
ロマンだとかマロンだとかっていうのは
あんまり頭に無いタチなのです。
イガ栗エィッ⊂( ・∀・) 彡 =͟͟͞͞(✹)`Д´)
と、いうことを前提に、
今日のお話しを書いていきます…( ..)φイソイソ
さて、
私が御言葉を聞くキッカケをもたらした
彼女(詳しくはこちら)を、
私は御言葉を聞いたことによって助けることができたのでしょうか?
どう思いますか?
答えは、Yes でもあり No でもあるのです。
どういうことか、お話ししますね。
結果として、彼女は心の健康を取り戻し、無事に大学を卒業しました。
(退学を本気で考えていたのですから、めでたしメデタシです(´∀`*))
では私は彼女のために、何をしたのでしょうか?
それは
お祈り
です。
彼女の悩みを解決できないまま夏休みに突入した私は、彼女のために神様に祈ったのです。
「どうか、彼女が今悩んでいることが気にならなくなるくらい、楽しいことが彼女に起こるようにしてください。」
夏休みを終えて、彼女に会った時、彼女は新しいサークルを見つけていて、そこでの活動がすごく楽しいと言って、とても心が回復していたのです。
そして、悩んでいたことについても、考えなくて済むようになっていました。
そして笑顔がとても爽やかでした。
(*´∀`*)ノ。+゜*。
御言葉を聞く前に、私は彼女にあれやこれや、いーろいろ話しました。
なんとかポジティブに考えを転換できるように。
御言葉を聞いてから、私は彼女にそういうことを一切していません。
代わりに、神様に話したのです。
神様だけに。
ということは、
つまりこれは
“神様が行なわれた”
ということですね。
「いやいや、偶然だよ」ということもできますが、
全ての“結果”には、“原因”があるのではないですか?
この出来事が “神様が原因では無い” と、証明することは誰にもできないのです。
だから私は
“神様が私の祈りに応えてくださったのだ”
と考えました。
祈りとは、
{ 生きて存在している神様 }に、
話しをすることです。
神様と対話すること
です。
木とか銅像とかオサイセンバコに向かって祈っても
それ (木とか銅像とかオサイセンバコ) は
人間に応えることはできません。
オサイセンバコから1円さえも飛び出してくることはあり得ないでしょう。
(あったら面白いけど笑)
でも、神様は
{ 生きて存在していらっしゃるので }
人間に、応えることができるのです。
彼女の心が晴れやかになった原因が
私が祈ったから
であり
私の祈りに神様が応えてくださったから
だとすると
心の苦しみから彼女を助けたのは、私だとも言えるし(Yes)、私ではなく(No)神様だとも言えるのです。
私がお祈りの威力を感じた
First episode でした 。.*:+
万軍の主の熱心がこれを成し遂げられる。
イザヤ書 37:32
神様は熱い愛と情熱をもって、私たちに働きかけてくださるのです。
なんだかロマンチックですね♡
ハレルヤ!。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。 ゜